珍しく日記のようなものを書くなどします。
内容が非常に重たいので、精神が健康でない人は読まないように気をつけてください。そうでない人も閲覧注意です。
2025年7月16日。
私は自殺を試みました。
その頃私は、自分が生きていくあらゆることに対して強い絶望感を持っていた。
仕事は苦しいし、人間関係は強烈に苦手な人がいるし、お金には常に困ってるし、両親にはとうの昔に捨てられたし、先の未来に楽しみを見出せないし、常に苦しみと辛さが自意識を支配されてるし。
このままずっと何かが苦しいまま、心が死んだまま生きていくのかなって考えてた。
そんなある日、私の上司から言われた何気ない一言。
「そのまま漫然と生きてるだけじゃダメだよ。もっとやらなきゃいけないことがいっぱいあるんだから」
この身を焼く苦しみは誰にもわからない。
その上、生きていくためにはもっと苦しまなければならないことがたくさんある。
その一言を聞いた時、私の中でなにか『線が切れる』感じがした。『一線を超えた』とも言うか。
覚悟が、決まった。死ぬ覚悟が。
私はその日のうちに通販サイトを漁って、人が死ぬには充分な量の練炭と七輪とオイルライターを買い込んだ。
人ってこんな安い額の出費で死ねるんだ、って思った。
それらの荷物が届くのが、最も遅いもので7月16日になることも決まった。
この日に決行する。この苦しみと辛さに決別し、全てに決着をつける。
そう決めた。
終わりの日が決まったので、それまでに後悔のないように行動しなければいけないと思った。やるべきことは全てやり切らなければいけない。
だから決行前のある日、私は当時仲良くしていた人たちが集まるDiscordサーバーに人を集めて、「来週私は死ぬ、今まで仲良くしてくれてありがとう」って伝えた。
私の予想に反して、全員から猛反発を受けた。
私はただ、私みたいな最低な人間と仲良くしてくれたことにお礼が言いたかっただけなのに。
この時の私は知りようもなかったことだが、この話をしたことがきっかけで、友人たちの間で「どうやってユアリスの自殺を止めるか」という話し合いが進行していた。
結果として、『警察に通報する』ということになっていた。私から見て、水面下で。
7月15日、深夜26時。
家のインターホンが鳴った。こんな時間に。
「〇〇警察署の者です〜。△△さんですか?」
△△は私の実名だ。
私の住所と名前。それを正確に把握して通報できる人が……1人、いる。
〜1ヶ月前〜
私「知り合いのツテを頼りまくってたらSwitch2が2台手元に来た。1台いる?」
友人「いる! 住所送るから送って欲しい」
私「じゃあ私の住所もここに書いとくね。ここから来た荷物の中身がSwitch2だからよろしく」
友人「明日代金振り込みますね!」
……彼、だ。
彼の元には、私の通報に必要な個人情報が揃っている。
一人暮らしのワンルーム。
布団の上の私を取り囲むように、7人の警官が私を見下ろしている。
「自殺は犯罪じゃない。でも、君が死んで悲しむ人がいる。知らない我々でも、君が死んだら悲しい」
……あんまり響かない。
私が死ぬ死なないの瀬戸際にいる時に、周りの人の悲しみなぞどうだっていい。
彼らが帰った後、すぐに自殺を実行しようかとも考えた。
ただ、この時点では七輪が手元に届いていない。火をつけた練炭を床に直置きなどしようものなら、無関係な人間を火災に巻き込むことになる。それだけは避けなければいけない。
明日の朝、9時に近所のホームセンターが開く。朝イチで飛び出して七輪を買い、戻って即自殺。これで行こう。
……警官が家に詰めかけてきた緊張で、日が昇ってもなお全く眠れなかったが。
翌7月16日、朝7時。
家のインターホンが鳴った。こんな時間に。
案の定、昨日の警官だ。
「一度、君を署に連れて行って話を聞く」
……それを振り払う元気がなかった。国家権力に暴力を振るって逃げる無謀さもなかった。
あと1時間くるのが遅ければ、私はとっくにホームセンターに買い物に行けただろうに。そうなれば、"実行"に移れたろうに。
同日、9時頃。
取調室で警官2名の取調べを受けた。
仕事の人間関係が苦しかったこと。お金に困っていたこと。ずっと死にたがっていたこと。
全部素直に話した。
そうしたら「一度病院に連れて行って意見を聞くべき」という話になった。
いつも通院している精神科の病院。
そこの先生の診察を受けた。
「強いうつ病の症状が見られます。当面の間、入院させた方が良いでしょう」という話になった。
ここの病院には入院することができないので、入院先の病院に紹介状を書いてもらった。
「今でも死にたい気持ちはありますか?」
「あります」
即答した。
同日、13時頃。
保健所のスタッフが私のいる取調室に来た。
簡単に事情聴取をしたのち、入院先の病院に移送することとなった。
それから。
私の人生において初めての入院生活が始まった。予定入院期間は3ヶ月。
この病院ではスマホは取り上げられてしまう。院内での撮影も外部との通信も禁止されているからだ。
これが現代人の私には本当に辛い。
1日中スマホを触って生きていた私からそれを取り上げると、大事な友人とも、社会や世界とも繋がれなくなり、私は孤独になってしまった。
それでも人と関わることをやめられない私は、看護師や同じ階に入院している他の患者など、あらゆる人と話して時間を潰した。
入院して少ししてから、私の担当医から「ある程度の娯楽品を持ち込んでも良い」という許可が出た。
具体的には……Nintendo Switch 2とソフト!
ヴァンガードのデッキ!
これらを持ち込んで使用しても良いという、お許し。
これらがあるとなると、退屈極まりない入院生活がだいぶ変わる。
ドンキーコング バナンザ、最高のゲームです。(突然)
そんなこんなで、整った病院食と服薬治療を受けつつ、Switch2を遊びつつ、時々他の患者とトラブルなんかもありながらの入院はその後1ヶ月半にわたって続いた。……予定よりかなり早く退院できた。
その後1ヶ月くらいの自宅静養を挟みつつ、職場に復帰することになった。
あの日。
朝警官が来るのがあと少し遅かったら、今私はこの世にいなかったかもしれない。
今も希死念慮は私の心にあるし、生きてても辛いだけかも、なんて思う。
でも、この偶然の方向に向かってしまったから、私はとりあえずしばらく普通に生きるしかないのかもしれない、と思う。
この後もいろんな人に迷惑をかけていくと思うけど、迷惑をかけながらでも生きていく。そうするべきなんだ。
そんなこんなで、とりあえず私は今生きてます。
この後どうなるかはわからないけれど。
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